アルツハイマー型認知症の精神療法

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アルツハイマー型認知症の精神療法
Brief Psychotherapy for Alzheimer’s Disease

私の精神療法の要点

認知症の人への精神療法的アプローチにおいて、私が試行錯誤を通して学んだ留意点について述べたい。認知症の人との対話に際して、治療全体に共通する私の考え方である。個々の治療場面や課題・題材よって対話のやり方は様々に異なるかもしれないが、次の点に関しては一貫して私が維持している治療姿勢といえる。前述の心理療法における要点と重複する点も多々あるが順に述べることとする。

(1) 陰性感情にも関心を向ける

陰性感情を話題に取り上げることに躊躇する治療者がいるかもしれない。しかしそこには治療的な意味があると私は考える。認知機能の低下から、自分に対する陰性感情は起こって当然の自然な感情であるにもかかわらず、その感情を誰かに受け止めてもらっていないことが多い。もしかしたら周囲は陰性感情を助長してはいけないと、話そうとしても止めて他の活動に誘導したり、励ましているかもしれない。しかし自然な感情を整理することを助けることが治療的ではないであろうか。それを聞くことは家族・介護者にとってストレスになるかもしれない。聞きたくない気持ちもあると思われる。したがって、医師や医療・福祉系専門職がきちんと聴き、共感することによって、本人は気持ちを切り替えたり、次の行動に気持ちを向けたりすることができるようになるのではないかと考える。

(2) 努力や忍耐に敬意を払い称える

生活上の失敗が続き自信を失くすばかりの人もいる。しかし、認知症の人は認知機能低下に対して無力というわけではない。生活上で自ら工夫するなど対処している人もいる。そうした努力への賞賛や達成の喜びの共有は自己効力感の維持につながる。現在の自分を受け容れる強さにもつながると考えられる。自分が認知症であることを許すことができれば、適応スキルを発揮する精神的な余裕に結び付く可能性もある。失敗に伴う情けなさや恥ずかしさに耐えているだけの場合であっても、その忍耐が賞賛されることで自尊感情や自己効力感の低下を軽減できるかもしれない。

(3) 生きがいや過去の達成感を言語化してもらう

多くの認知症の人は、若年性認知症であっても40年や50年の時間をすでに生き、多くの人生経験を重ねている。もちろん苦い経験もあるであろうが、様々な成果や実績があるはずである。事業を成功させたこと、仕事を教えてあげたこと、誰かの失敗を助けたこと、後輩の相談に乗ったこと、結婚の仲を取り持ってあげたこと、家を新築したこと、子供を育て上げたこと……そうした話題が出たら、そのときに感じたやりがいや達成感を言語化してもらうことが大切であると私は考える。本人は特別なことをしていないと思っていても、第三者が傾聴して敬意を表することが、本人が自らの過去を肯定的に受け止めることにつながると思われる。

(4) 自分のニーズに気付いてもらう

認知症診療で本人の要望を聞けば、ほとんどの人がまずは「治せるものなら治してほしい」と答える。本人たちもそれが叶わないことは承知しているが、望みは何かと聞かれれば、この答えになるのである。すべての認知症の人に共通する気持ちなのだと思う。私は「治すこと以外で……」と言葉を続けることしかできないが、無理な注文でも、まずは言葉にしてもらい、それを医師・医療職が正面を向いて聞くことに意味があると考える。それを言葉にしてこそ、その後の医療ニーズの話へと展開させ、本人がどのように医療を利用するのか、医療資源を活用するのか、という本人視点の話題へと発展させることができるのではないであろうか。そして自分の中にあって気付いていなかったニーズにも気付くことができる。

(5) 身体感覚に関心を向けてもらう

本人は生活上の失敗で悩むことが多い。認知症疾患が先入観や偏見を伴う病気であることから、精神的に過剰に追い込まれて耐え難い苦痛となっていることが多いと推測される。このような生活上の不便といった暮らしづらさに関するストレスや将来に対する不安は止むを得ないものであるが、関心がそちらにばかり向いてしまうと視野も狭くなり、行き詰ってしまい八方塞がりになってしまう。私は本人の関心を「身体」にも向けさせるアプローチが大切であると考える。食事量よりも食事の美味しさ、起床時間よりも目覚めの気分、午睡のあとの心地よさ、体を動かした後の疲れ、入浴後の気持ちよさ、散歩のときに感じた日差しや外気など、身体感覚に注意を向ける問いかけは診察のたびに必要である。身体感覚は、ストレスや不安とは異なる現実という意味でも大切にしたい。

(6) 「本人の力になりたい」という家族の想いを本人に伝える

認知症をに罹患した原因が本人にあるわけではないが、認知症に罹患したことで家族や介護者に負い目を感じていることが本人の発言から分かる。「家族に迷惑をかけるくらいなら死んだほうがましだ」と感じる認知症の人は少なくないと言われる。しかしその反面、本人は家族に対して「迷惑をかけて申し訳ないとは言葉にできないようである。他人であれば容易に言葉にできることも家族に対してはできないものなのであろう。
それと同様に、家族もこれからの経緯が心配であり、「できることがあるなら本人の力になりたい」と医療・福祉系専門職の前では言葉にできても、本人にはなかなか言えないようである。そのことが本人の申し訳ない気持ちを助長する要因になっているかもしれない。家族の素直な本音が聞けたとき、本人にそれを伝えることは、自尊感情の維持の点でも有効であると私は考える。

(7) 誉めるのではなくともに喜ぶ

例えば、本人が自発性低下や意欲低下があるにもかかわらず、散歩や家事に取り組んだり、デイサービスやデイケアに参加したりしたときには、それを称えるよりは、できたことを一緒に喜ぶ姿勢を私は大切にしている。上記症状があるにもかかわらず日課などに取り組むことは容易ではない。多大な努力が払われたはずである。それを上からの目線で評価し褒めるのではなく、できるだけ本人の目線に近いところで、その喜びを共有することが望ましいと考える。なぜなら、われわれ医師、医療・福祉系専門職も経験したことのない大きな困難(症状)に立ち向かって、それを乗り越えようとしているのだから。本人にとっての管理者や指導者ではなく、共に生きる支援者としての存在を目指すべきである。

上記は、病歴を聴取するときにも、病気の受容について話すときにも、治療について相談するときにも共通している私の治療姿勢である。治療全体を通して一貫する基本戦略といえる。いずれの治療やケアの場面にも見出せるものであり、この後、本書において繰り返し指摘し、言及することになる。

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