認知症とともに生きる人の姿を映像に

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認知症とともに生きる人の姿を映像に

現在、フリーの映像ディレクターとして、認知症とともに生きる人へのインタビューシリーズやドキュメンタリーを制作し、関連イベントやウェブサイトで発表しています。

東京都町田市民公開イベント「まちだDサミット」での作品上映の様子(2020年)

 

これまでに、以下の作品を手がけてきました。

・「町田で生きる私たち【ハタラク編】」…「つながる」+「役割」+「仲間」= 地域貢献をキーワードに、地域の困りごとを解決するために活動するデイサービスの日々を紹介したショートフィルム。第一回なかまぁる Short Film Contest入選作品。2018年
https://youtu.be/okvQvyQI0Zo

・「認知症の本人の声PROJECT」シリーズ(NPO法人認知症ラボ)…全国の認知症とともに生きる6人を訪ね、どのように工夫して認知症とともに暮らしているかを聞いたインタビューシリーズ。2019年

認知症の本人の声 PROJECT

・認知症とともに生きる希望のリレー…JDWG(日本認知症本人ワーキンググループ)の同名キャンペーンの活動記録。2019年10月、大阪府大阪市で行われた「ディメンシア・タイムズ・ストリート」一日のドキュメント。赤い羽根共同募金助成事業。2020年
https://youtu.be/Q_OrJm8Y6rg

インタビューに答える認知症当事者の男性

 

「本当の声を伝えたい」と思ったきっかけ

大学を卒業後、2002年にNHKに入局して、番組ディレクターとして仕事をしてきました。ドキュメンタリーの番組を制作してきましたが、キャリアの中で特に長く医療福祉の番組に携わり、この社会の中でいきづらさを感じている人、社会の片隅に追いやられてしまう人の声を伝えることを仕事にしてきました。たくさんの認知症とともに生きる人と出会い、映像に記録させていただきました。

2015年に手がけた番組「わたしが伝えたいこと〜認知症の人からのメッセージ」の取材を通じて出会ったおひとりの手紙が、大きな転機となりました。番組で「本人の声」の募集を始めたところ、まもなく一通の手紙が届きました。大阪府堺市の曽根勝一道(そねかつ・かずみち)さんという方からでした。その中の一文に、私はハッとして、心が揺さぶられました。そこには、「アルツハイマーになったら悪いのでしょうか」と書いてあったのです。

番組に手紙をくれた曽根勝一通さん 59歳のときに認知症と診断された

 

認知症の診断という、人生でおそらくもっとも過酷な体験をされた人に、このようなことを書かせる世の中とはいったい何なのだろうか…。そう疑問を抱いたのを覚えています。
曽根勝さんはこうも書いています。「自分自身が認知症に対して偏見を持っていたんだと気づきました」。「病名でひとくくりにされて、世の中から阻害されているようです」。認知症と診断された人を苦しめていたのは、アルツハイマー病という病気そのものではなく、“社会の目・視線(偏見)”であると言うのです。
この社会を変える活動がしたい。3年後、NHKを退職し、認知症がある人に「ハタラク」を通じて新しい暮らしの選択肢を提供する「100BLG株式会社」の立ち上げに参加するとともに、映像ディレクターとして作品づくりをスタートさせました。

なぜ 映像で伝えるのか

様々な認知症に関する活動に参画しながら、ライフワークとして、認知症とともに生きる人々の記録を続けてきました。
映像に記録することの意味は、目の前にいる人、起こっている出来事をファインダーを通して見ることで、自分のなかにある“偏見”に気づけることだと思います。認知症の人を私たちが見るとき、どうしても、「物忘れがあるんじゃないかな」「何か不便なことはないかな」などと、その人の“認知症らしさ”を期待したり、求めてしまうことがあります。そんなとき、ふと、ファインダーを通して、それが自分のなかにある“偏見”だと気づかされることがあります。そこにいる人は“認知症の人”ではなく、ひとりの人間であることに気づくのです。そして、目の前にいるこの人のありのままの声を聞こう、と思い直します。そうして聞こえてきた当事者の声は、ほんとうに生き生きとして、みずみずしい生を感じさせてくれます。発見の連続なのです。

作品上映後の筆者

 

出会ってきた言葉たち

これまでに出会ってきた人たちの言葉を紹介して、筆を置きたいとおもいます。

「想像して楽しむこともできる」

沖縄に暮らす大城勝史さんを訪ねてインタビューを撮影したときのことです。大城さんは39歳でアルツハイマー型認知症と診断されてからというもの、日々の出来事を事細かに日記に書き留めていました。「なぜ記録を残すのですか?」と私は尋ねました。当然、認知症になって記憶があいまいになる、その埋め合わせ、生活の不便さを埋めるためではないかとおもって問いかけました。しかし、返ってきたのは意外な答えでした。

「思い出すのではありません。『想像して楽しむ』のです。」

記録されている自分の行動を思い出すことはできません。それならば、そのとき自分ならこう思ったのではないか、まわりはこんな反応をしたのではないか、ということを想像するのが楽しいのだ、と。大城さんは、無理に思い出そうとして自分を苦しめるのではなく、記憶のしづらさを楽しんでいるようにも思えました。不便さを楽しみに変えるしたたかさを感じたのです。

インタビューに答える大城勝史さん

2018年から2019年にかけて、町田市に暮らすたくさんの認知症とともに生きる人の暮らしを記録し、30分ほどの作品にまとめ、まちだDサミットで上映しました。この取材の過程で出会った人たちが語った言葉の数々は、とても印象深いものでした。

「認知症になったからって隠すこともない」
「自分を出せる場所があるってすごく気楽なこと」
「認知症だからどうこうではなくて、自分も努力すること」
「認知症を広めるしかない 最後には 認知症と言っても あっそうなの ということになる」
「先々の保証はないけど、楽しいときは楽しんで 仲間がいるし」

認知症とともに生きるということは、まさしく今を生きることです。人は過去、未来を考える生物ですが、それは、後悔、不安といった負の感情を呼び起こします。ほんとうの生とは、今を生きるということにある、と、気づかせてくれるのです。

カメラの前で語られる言葉に勇気付けられ、いまを生きている、それがいまの私の実感なのです。

【筆者または所属団体のプロフィール】

平田知弘
認知症がある人に「ハタラク 」を通じて新しい暮らしの選択肢を提供する100BLG株式会社CCO(最高コミュニケーション責任者)。映像ディレクター。レガシーピクチャーズ代表。NPO法人認知症ラボ理事。2019年までNHK福祉番組ディレクターをしていました。

【公開連絡先】
Mail:hirata.t.em@gmail.com
YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/channel/UCXzX1H-LgLE4_7874_TmPdw
100BLG株式会社HP:https://100blg.org/

 

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