当事者を信じて欲しい -私の心境、葛藤、生活、取り組み-

下坂厚

私は、2019年8月に若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けました。その時の心境やその後の心の葛藤、現在の生活のこと、取り組んでいること、思いについてお伝えしたいと思います。

以前の暮らし

私は、妻と二人暮らしです。近隣に子どもや孫が住んでおり、よく自宅に遊びにくるなど、穏やかな日々を過ごしてきました。今もそれは変わりません。
若いころは、カメラマンやその他の表現活動をしていた時期がありましたが、発症する前までは、20数年魚屋で働いていました。仕入れや仕込みなどがあり、毎日朝5時から22時まで働き、休みは週に1回あるかないかでしたが充実した日々でした。どうしたら多くの人に、魚の美味しさや調理方法などを知ってもらえるのかと思い、売り場に魚の本を置いてみたり、興味を持ってもらえるようなポップを作成してみたりと、いろいろなチャレンジもしていました。

気づき

しかし、ある時期から仕事をしていて、エビを10匹ずつ盛り付けるために数をかぞえるのに時間が掛かったり、注文を忘れる事などが目立ってきました。長時間勤務で疲れているのかなとも思いましたが、不安になり受診。様々な検査を行った結果、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。2019年8月のことです。診察室で、医師より、診断名を聞いた時は、「まさか自分が・・」という感覚でした。病気の知識が私は、インターネットで「アルツハイマー型認知症」について検索して、絶望的な気持ちに。そして、数日後の8月末には、魚屋の仕事を退職しました。なぜ、早々に退職を決断したのか。それは、「2年で寝たきりになる」というインターネットの情報が印象づけられてしまい、身辺整理を早くしないといけないと考えたからです。また、職場に迷惑をかけたくないという思いもありました。自分が今まで築いてきたキャリアが崩れていくような感覚だったのかもしれません。仲間と会社を立ち上げたばかりで、これからという時でした。やりたいこともたくさんあるのに・・という気持ち。
診断後の一番の不安は、経済的なことでした。家のローンの返済をどうしたらよいのか、次の仕事は見つかるのか。しかも「2年で寝たきり」という状態になった場合に家や妻はどうなるのか、不安でした。妻に負担をかけたくないという思いや、自分でできることはまだまだできるんだから、”自分でやりたい”,”やらなあかんという気持ちもあり、妻にはあえて相談をせず動きました。失意の中で、認知症と診断されて受けられる施策のことなどを、自分で探さないといけないことは、精神的な負担は大きかったです。

出会い

診断後に初期集中支援チームや様々な支援機関が関わる中で、活動場所の紹介をしてもらいました。そこで出会ったのが、西院デイサービスでした。色々な話をする中で「介護職やってみない?」と施設の方に声をかけられ、介護の仕事を始めました。仕事をする中で、大変なこともありますが、病気を理解してもらい、同僚のサポートもあり、仕事を続けることができています。新たな職場を得たことは、気持ちをリセットして再スタートできると感じられたことは大きかったです。何かしていないと、病気のことばかり考えてしまうので、仕事以外でも色々な活動に参加したり、人と出会うようにしています。このことが、自身の考え方を広げ、様々なチャレンジに繋がっています。非日常の中にいることで、楽しいと感じることも増えていき、精神的にバランスが取れている気がしています。

今の活動

発症から半年ほど過ぎたころから「日本認知症本人ワーキンググループ」に入会しました。それは、丹野さん、藤田さんなどの先輩が取り組んでこられた活動を見て、今のままの自分ではいけないと感じたからです。私も同じ境遇の方の力になれたらと思っています。実際に、国土交通省の施策に当事者として意見を述べたり、企業が認知症にやさしいまちづくりを考える取組みに参画し、アドバイザーとして活動したりしています。また、新しく仲間たちと一緒に、ピアサポートのような仕組みづくりを検討したりもしています。このような活動を当事者である私がすることで、今後、認知症の人が増える中で、社会の中で認知症の人が自分の意志で外出したり、働いたりできる仕組みを多様な業種で検討してもらうことにつながればと思います。そして、私は、同じ当事者にこのような仕組みやサービスなどがあることを伝えていきたいと考えています。
私が、このような活動をする理由は、もちろん、同じ当事者のためにという思いもありますが、自分自身のためでもあります。それは、「自分を持ち続ける」時間を延ばすためです。やはり、私の中では、「2年で寝たきり」の言葉がつきまとっています。今やらないと半年後、1年後はどうなっているのか分からない、今できることをしないとという思いがあります。活動をすることで、自分を前向きにさせ、社会との繋がりを持ち続けることになっています。

最後に

最後に、この記事を読んでくださった皆さんに、私がお伝えしたいことは、当事者を信じて欲しいということです。私の様に、工夫しながら日々の生活を送り、出来ることは自分でやりたい、いつまでも誰かのために役割をもって生きていきたいと思っています。そして、実際にできることがたくさんあります。「認知症にやさしいまち」とよく言われますが、本当にそういうまちってあるのかな?と感じることも多いです。行政の窓口が縦割りで知りたい情報などを得ようと思うと、たらい回しにされることもまだまだ多いと感じます。当事者が本人の意思で動き、できることが活かされる社会になるための仕組みやサービスの構築を望みます。また何よりも、認知症への理解が、多様な人や年代の方に広がることを願っています。

【著者プロフィール】

下坂厚
47歳 若年性アルツハイマー型認知症当事者

 

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