介護エッセイ「最後の引越し」
※お母様の介護のために単身赴任を選択された「家族の会」会員の福井さんが日々の介護生活をエッセイにまとめられ、ご応募くださいましたので、ご紹介します。「日本認知症国際交流プラットフォーム」では、広く原稿を募集しています。皆様からの介護体験もぜひお寄せください。
しのびよる不安
おかんの今の生活に不安を感じたのは、2025年夏の左ひざの怪我がきっかけだった。
ある日「ひざが痛い」と言い始めた。ベッドから起きたり椅子から立ち上がる際、痛がって何度も尻もちをついてしまう。立ち上がってしまえばそれなりに杖をつきながら歩くのだが、それまでとは何か様子が違って見える。そういえばつい先日連れ合いが福岡での用事を済ませた後こちらの様子を見にきた時、庭先に居合わせたお隣さんから聞いたという話を思い出した。母が玄関先の植え込みで転んでいるところをお隣さんが見つけ、起こしてもらったことがあったそうだ。気になって足の状態をみたのだが、もともとかかとにはむくみがあり、怪我で腫れているのかどうかも判然としない。ひざもあざができているわけでもない。もともと朝起き抜けに「足がしびれる」「足の甲が吊る(?)」などと訴えることはままあり、痛がる箇所をさすったり指圧したりして「これ1錠、効くから」とミント菓子を飲ませるとたいていは治っていた。私は、とうとうおかんも足の老化が進んでうまく歩けなくなってきたのか。それとも転んだことが何か関係しているんだろうか。ひょっとしていよいよ車いす生活になってしまうのかな。色々不安がよぎった…。
そんなとき、おかんが毎日通う「小規模多機能居宅介護」施設のケアマネジャーさんから連絡あり。「お母さまの左ひざが腫れている。整形外科にかかってほしい。」看護師の資格を持つケアマネさんからの連絡に、やっぱりとの思いでおかんとともにタクシーで近くの整形外科へ行った。
骨や関節に異常はないが、左ひざに水がたまっているとの診断で、それを抜く治療を受けた。その後どうな
るのか心配したが、数日で回復し、何回かの通院後、また今まで通り歩いて生活できるようになった。やれやれとは思ったものの、バリアフリーとは一切縁のない「バリアアリー」の自宅での生活、その見直しを迫られたように感じた。
さらに気掛かりなのは、近年の無慈悲な気候変動に対しておかんはまったくの無防備状態なのだ。エアコンのリモコン操作が分からなくなっており、連日の熱帯夜、適温に設定してつけておいてもなぜか消してしまう。仕方がないのでエアコンをつけたままリモコンを手の届かないところに隠しておくと、これもまたなぜか部屋の扉を全開にしてほとんど冷房効果のない状態にしてしまう。エアコンによる温度差を「寒い」と感じてしまうのだろうか。
新たな生活へ続く模索
暦の上での秋に入ってもなお続く猛暑の中、家族と話し、ケアマネさんとも相談して、町内のグループホーム(認知症対応型共同生活介護)に入居申請の書類を提出した。施設見学の際に感じた、安全で明るく穏やかな雰囲気と、職員のみなさんのプロフェッショナルなご対応への信頼に後押しされての申し込みだったが、ホームの室内温度が快適だったことも申し込み理由であることはいうまでもない。入居は順番待ちなので、さていつ頃入れるのかと思いつつ時が過ぎ、季節も変わり、年も明けてしまった。その頃は、お世話になっている「小規模多機能型居宅介護」施設でも配慮いただき、泊りを週5回受け入れてもらっていた。ただ残る自宅での2泊は夏場同様に気をもんだ。地球温暖化とはいうものの、夏の猛暑の分、冬は温暖というわけにはいかず、やはり寒い日は容赦なく冷える。暖房のため以前はポータブル灯油ストーブを使っていたが、火の用心のため切り替えて、電熱が赤くなって暖まる電気ストーブにした。おかんはそれに抱きつくような姿勢で長時間過ごし、足に低温やけどを負う。これはいかんと、火が見えずに熱風だけが出てくる石油ファンヒーターを導入。うまくいったかと思ったのだが、おかんは燃焼中に灯油の残量チェックのためにタンクを引っ張り上げる「くせ」があることが発覚、使えなくなった。最後の切り札として電気パネルヒーターに賭けてみた。これなら火事の心配はなく安全ではあるのだが、ゆっくり部屋を暖める装置なので「暖かい」を実感できないのが欠点。おかんは(多分)もっと暖かくしようとタッチパネルを操作し、結局スイッチオフにしてしまう。結果、北風吹く寒い夜の室温は5℃前後となる…。
ある冷え込みの厳しい早朝、いつものように朝支度のため家に戻るとおかんの寝室から声がする。起きているのかと様子を見に行くと、おかんはなぜかはだしの右足を布団から出したままの状態で布団にくるまり寒がっていた。その足の甲やふくらはぎを触ってみると血の気がまったく感じられず冷え切っているのに驚いた。電気毛布のスイッチも切られている。急ぎ足の甲をマッサージして厚手の靴下をはかせ、スイッチオンの電気毛布でくるんでさすり続けた。「この冬どうなるんだろ。グループホーム、まだかな…」
グループホームから「入居できます」との電話連絡が入ったのはその朝から2日後のことだった。
新しい生活へ 最後の引っ越し
そうして迎えたグループホーム入居当日の朝。少々寒いが風もない。レンタカーに少しの荷物を積み込んで、おかんを「小規模多機能」の施設まで迎えに行く。予定通り指定の病院で健康診断を受け、近くの回転ずしで昼食。おかんは私が適当に取った皿からマグロ、蒸しエビ、いなり、たまごを選んで取り、さらにきつねうどんを食ベて、さすがに茶碗蒸しは残したのち、グループホームへと向かった。新たな住まいのことをおかんに説明、納得させたうえでの引っ越しではもちろんない。スムーズにいかなかったときの対応をどうするか、運転しながら考えがまとまる間もなく施設に到着した。青空だ。車のドアを開けたおかん、建物を見るなり「立派な老人ホーム(すべての老人介護施設をおかんはそう呼ぶ)だねえ」。どうも嫌がってはいない様子。私は後部ドアに回り込み、おかんの右手に愛用の杖を持たせ、左手を引いた。さて、最後の引っ越し、行こうか。
するとひとこと、「あんたの手、冷たいなあ…」
言われてふと母の手のぬくもりをもらっていることに気が付く。それは久しぶりで、柔らかくて、懐かしくて、心地よく暖かかった。
この引っ越しに、確信は持てないのだが、多分正解、と、思わせてくれた。その36.5℃のゆえに。
感謝を込めて
~その翌日、私は母がお世話になった27人の方々に同じ文面の手紙を送った~
拝啓
年明けて、暦は字面を眺めるだけでも身が縮みあがりそうな「大寒」と進んでまいりました。いか
がお過ごしでしょうか。また日頃は母のことをお気にかけていただき、心から有難く思ってお りま
す。その母ですが、先日、町内にあるグループホームに入居(転居になるのでしょうか) いたしま
した。私、もう7年前になりますが、 62 歳で退職を機に、連れ合いとの相談理解の上で母 の「老
い」に付き合おうと決め○○町に移り住みました。その間、母の「老い」は認知症の 進行という形
で現れました。それでもできるだけ住み慣れた家で過ごさせてやりたい。それが母 の望みだとの
信念で、介護施設の皆様のご協力をいただきながら色々と工夫してきました。コロ ナ禍や災害避
難などの体験も間に挿みながらも築 50 年の古家でなんとか暮らしてきました。
しかしながら、徐々に母も衰え、現時点で自宅での生活はあまりにもリスクが高いものになると
判断しました。そこで昨秋からグループホームの入居申請をして空きを待っていたところ、年明け
に施設からお声がかかり、今後も私が○○町に居住することを確認されたうえで母の入居受け
入れとなりました。私自身、今回初めてとなる○○町での暮らしも、はや 7 年という時を重ねるな
かで人とのつながりや地域との絆が深まってきています。そして春からは新たな仕事もみつかり
ました。○○に残した家族(妻、ネコ2 匹)は大いに気掛かりではあるのですが、当面は母の近く
で暮らすことを続けるつもりです。
今年 98 歳になる母は、認知症は進んでいますが、杖を使って自ら歩きますし、定期的に飲む薬
もありません。肉類と甘いものが好きでよく食べます。そもそも母が自宅での生活を望んでいると
いうのも私の単なる思い込みなのかも知れませんし、本当は安全で暖かく過ごせるのが一番な
のかも知れません。分らなくなってしまった母にそれを確かめることはもうできないのですが … 。
今まで母とお付き合い、また支えてくださった皆様には感謝の言葉しかありません。
一緒 におしゃべりをするような機会が難しくなるのが残念ではありますが、本人は食欲旺盛、元気です。
今度のグループホームでは、いきなり利用者のなかで最高齢になるとのことで、今後その記録をどんどん伸ばすことは間違いないでしょう。
ありがとうございました。
寒い日々がしばらく続きそうです。どうぞご自愛ください。来るべき暖かい季節を楽しみに。
自家菜園のえんどう豆の実りを待ちながら
敬具
執筆:福井