介護体験『かったる~い!!』

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平成最後の年(2019年)

「新元号は令和、であります」

令和おじさん、菅官房長官(当時)が令和の色紙を掲げ、誇らしげに宣言した。心なしか顔の色つやがすこぶる良く、精気もみなぎっているように見えた。

夕食後、これだけのイベントにも珍しく、何も言わぬ母に私は驚いた。テレビを見る目はとろんと潤い、口は出っ歯のせいだけではなくだらりと開いている。

生徒さんの清書作品

平成最後の年に米寿を迎え、書道塾経営もこの3月で満50 年に達した母は、「もう区切りだね、いつ辞めても本望だよ」

盛時に100人を下らなかった生徒さんの数も、今年に入ってとうとう2桁を切った。てっきり先月で辞める、そう教え子達へ電話したものとばかり私は思っていた。だが既に「決断」を司る前頭前部が蝕まれていたのであろうか。「悪いけど今日は洗っておいてくれないかい?」「ああ、いいよ」珍しいこともあるものだ、書道作品の出品作業に余程てこずっているんだろうな。私はかたずけた後自室へ戻り、風呂が沸くまで肩の凝らない雑誌へ目を通していた。

すると、「まさや、見てくれないか? だってお前、いつだって何もやってないんだろう? だったらこっち来て手伝ってよ」その声はかなりうろたえている。いつもは「そんな大声を出したら下に聞こえるでしょ!」というくせに。

母は私を見るややおら、まだ封をしていない大封筒を机に叩き付けた。たしか生徒さんの清書作品が入っているはずなのに。

「私、なんでこんな物作ったんだよう?」

母のこの際立った変わり様に呆然として、私はしばし声が出なかった。

「もう死にたいよ!」

その声で我に戻り、私はともかく封書の中身を点検した。そして程なく先月と同じ様に間違いなくできているのを確認すると、初めて安堵の微笑みを母へ注ぐ事が出来た。

宣戦布告

「前と同じく、ちゃんとできているよ」

「そう、でもなんでそんなもの作ったんだよう?」

これにはもう取り合わず、処方睡眠薬のデパスを1錠飲ませベッドへ連れていった。興奮すると時折、ふらつく事があるからだ。薬のせいで寝付きの良いのは何よりの救いであった。だがこの日はまぎれもなく今まで30余年にわたり、母の脳内に延々と布石を拵えてきたアルツハイマー型認知症が母と私に対し、露骨に宣戦布告を宣言した日となった。

(そういや俺は昔から応用問題を解くのが苦手だったもんなあ)

母がプイと横を向いた刹那、私は不謹慎にも失笑してしまった。

後30分程で訪問リハビリ・マッサージの先生が来られるというのに、不器用にも彼女を怒らせてしまったのだ。

「もういいよ。一体、誰が頼んだの? 面倒臭くてしようがないよ。ね、今日こそ来るの断って!」

「だってそれじゃベッドからトイレまでさえ1人で行けなくなっちゃうよ。『お前に迷惑なんてかけたくない』って、いつも言ってるじゃない?」

いらいらしながら私は語気の少し荒くなっているのを自覚した。

(いけない、いけない。どうもうまく応用問題が解けない。-でも毎日毎日その場その場が応用問題なんてホント、介護は厳しいな。-俺が健常者だったらこんな時もう少し、コミュニケーション、対人関係の距離を上手く取れるのに)

私は露骨に舌打ちした。

訪問リハビリ「ああ、かったるい」

「コンチハ」

おそらく私より2つ3つ年上のマッサージ師が、この日も元気よく、明るく入って来た。

「俺の事、覚えてる?」「そんな、覚えてますよ」「本当?」

漫才師さながらの掛け合いに、もどかしかった私の心もなごんでくる。

「「俺は身内なのにどうしてこう明るく接する事が出来ないんだろう?」

一方、母は「もう今日はこれで最後ですか?」「外は寒いですか?」「貴方もやってもらいたいでしょ?」の3フレーズを施術時間30分の間にほぼ5、6回ずつ繰り返し、先生に聞く。先生はその都度ニコニコ少しずつ言葉を代えながら、丁寧に母の問いに応えていく。そして母は施術の深まりと共に感極まってくると、両目をつむり微かに舌なめずりし決まって、「気持ちいい」の代わりに「ああ、かったるい」とこぼすのだ。

先生はすかさず「かったるいか~!今年の流行語大賞に決まりだな」と言っておどける。だが私は笑っても、母は笑わない。以前なら笑い飛ばしていたはずだのに。

「凝ってますか?」「うん、少しね」「ああ、かったるい」「…」

先生は丁寧に母をマッサージしながら同時に、私と色々な話をする。それも尽きる頃、ようやくその日の終わりがやってくる。不思議な事に何も言われぬ前に母は毎度、「ありがとうございました」と言うではないか。先生もマッサージしながら「身体は覚えているんだね」と、感心されている様子。

そう、H・Mこと故、ヘンリー・モレゾン氏のように海馬がないに等しくなっても、その他の脳器官は仲良くせっせと働いてくれているのだ。

マッサージ。いつやったの?

「これをもって呆けているなんて言わせないぞ!」

私は心の奥でそう叫んだ。だが一瞬そう気張ってはみても、またすぐ脱力感に捉えられてしまう。もう3ヶ月目に入ろうとしているが、先生の顔が一瞬くもりかなり薄くなってきている卵型の頭を軽く左へかしげたのは、わたしが、「先生、母はもう要支援2、って事はないですよね?」と、聞いた時だけである。

「じゃ、また3日後に来るからね。俺の事覚えててね」

口元は見えぬが屈託なさげに、両目は絶えずいたずらっぽく笑っていた。

だが彼がドアの外へ消え5分も経たぬうちに、私の「ね、マッサージうけて気持ち良かったでしょ?」の問いに、こう返してくるのだ。

「え、マッサージ。いつやったの?」


 

 

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