介護エッセイ:ねこが ねこ ろんだ

介護エッセイ

※お母様の介護のために単身赴任を選択された「家族の会」会員の福井さんが日々の介護生活をエッセイにまとめられ、ご応募くださいましたので、ご紹介します。「日本認知症国際交流プラットフォーム」では、広く原稿を募集しています。皆様からの介護体験もぜひお寄せください。


肉球を自分の鼻先にでもあててみたくなる

母親を看るための熊本県での単身介護生活も長くなったが、離れた札幌の家で気がかりなのは猫のことだ。

連れ合いとの40年近い結婚生活は、ほぼイコール猫との共同生活でもある。今まで家で一緒に暮らし、すでに看取ったのが3匹、そして現在同居中の夫婦猫2匹で計5匹。身近に猫がいない今の生活が、こんなに心に大きなほら穴をあけるものとは思いもよらなかった。連れ合いとは話し合い、分かり合ったうえで別々の生活を選択しているので、少々つらさを抱えつつも「しっかりしよう」と構えることができる、というよりは我慢しようと努めることができるのだが、こと猫との別居に関しては理屈なしだ。むき出しの寂しさだ。今どうしているかな、会って前足の裏の肉球を自分の鼻先にでもあててみたくなる。

耐え切れない私はこちらでも近くの猫についちょっかいを出してしまう。幸いに都会と違い、この地区はルールを守ったうえでの外飼いが認められているので、あわよくばうちに来てくれるさまよい猫がいないか、突然の出会いに備えてキャットフードを物置に常備している。猫が相手だけに、同じネコ科で「虎視眈々」。まあそう簡単に出会えるわけもないのだが。

わたし終(じま)いの極意

先日、高齢リスナー向けの深夜(早朝)ラジオ番組で、たまたま俳優川上麻衣子さんのロングインタビューを聞いたのが強く印象に残っている。タイトルは「わたし終(じま)いの極意を聴く」で、その話題のひとつに猫が登場する。

川上さんはソーシャルメディアでも猫との関わりについて発信している猫サポーターだが、猫との生活の中で死生観が変わったという。現代は医療技術の発達により長生きできる世の中になってはいるが、さて人生の最期を迎えるのに、病院で管につながれたままでもいいのか。自分は家での穏やかな時間がほしい。猫は死期を迎える際、自分の意志で食べることをやめ、体力を減らして自分の意志で死んでいく…。うーん、これこそ「わたし終(じま)いの極意」だ。ラジオを聞きながら私は深くうなずきつつ驚いていた。なぜなら連れ合いとは常日頃からこのようなことを話題にしていたから。

自分の命を生き抜いたことをほめてやるべきだと思うよ…

連れ合いが子どものころを過ごしたのは北海道北部。酪農家の娘として、牛、羊、犬、猫や鶏などブレーメンの音楽隊をしのぐバンドをも編成できそうな動物まみれの日常で、そこで肌で学んだことも多かったのだろう。

大阪市内のまちなかで育った私は、連れ合いの「命」についての考えにたいていは圧倒される。うちで看取った3匹の猫の、いよいよお別れの際など、思わず知らず「かわいそうに。寂しくなるな…」などと私は思ってしまう。そのたびごとに連れ合いからの指導が入る。猫の死を「かわいそう」と思ってはダメだよ。彼(彼女)らは自分で自分のいのちを全うする生き物なんだから。本人たちがそんな覚悟をもっているんだから、たとえ2か月で世を去ろうが、20歳まで長生きしようが、猫エイズだろうが交通事故だろうが、人間の分際で、やれかわいそうだとか早かった遅かったなんておこがましい話なんだ。むしろ自分の命を生き抜いたことをほめてやるべきだと思うよ…。

ちょっと大胆なご意見ではあるが、自ら実践しているだけに説得力がある。でもそのように受け止めると、いなくなった猫たちには「楽しい思い出を沢山残してくれてありがとうね」と幸せな気持ちだけ残してもらえるし、たとえペットロスで少々ボーっとする時期があったとしても、「もう二度と動物は飼わないぞ」とは思わないようになる。猫が自分のペースで自分を終(しま)って旅立ち、関わった人たちには暖かい思い出をそっと置いていく関係。

ああ、あんなにあげなきゃよかった…。

そういえば、おかんも最近やることが猫に似てきた。まず、よく寝ること。連れ合いがほぼ毎晩、安否確認を兼ねて札幌からおかんに電話を入れるのだが、8時半だとすでに寝てしまっているのか出ないことが多いようだ。そして朝、私が自分のアパートからおかんの家に来るのが5時、諸々の支度を済ませてから7時半に勤めに出かけるのだが、おかんが起きるのはそのあと、おそらく8時過ぎのようだ。つまり一晩の睡眠時間は推定約12時間。デイサービスに行かない日などは、さらに昼食後から夕方まで縁側の日向の長椅子で丸くなってのお昼寝だ。

つまり、父が死んで30年、住み慣れた大好きな家でだれに干渉されることなく自分の生活、自分の時間をひとりで楽しんできたおかんの、雑事を少しずつ排除して完成された究極の「猫の一日」だ。ただうちの95歳の家猫は、終うつもりはネコの額の毛ほどもなく、何かおいしいものはないものかと常に菓子鉢、果物かご、冷蔵庫のチェックを日課にしている。ついうっかり、例えば干し芋のような大好物を多く菓子鉢に盛っておいた日には、とりあえず全部食べ、そしてほぼ全部を(なぜか)自分の椅子の足元にあるくずかごの中にもどしてしまう。「ああ、あんなにあげなきゃよかった…。」これも飼い猫あるあるの定番エピソード。

どうぞごゆっくり

そうか、猫と離れた生活が寂しいなんて思ってたけど、こんな身近にいたのか。愛くるしいかどうかは別として…。少々無理筋と思わなくもないけど、付き合い方は猫と同じだ。干渉せず、指図もしない。寝心地良い長椅子を縁側に用意しておく。用事のある時だけ静かに関わりをもつ。そして最も重要なこと、おいしいものは適量…。

おかんへ

ご自分の「わたし終い」、どうぞごゆっくり。

猫好きの息子より

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