〜宮脇 勝〜繋がりから前へ

本人登場(PF用トビラ画像)宮脇勝

診断を受け、悔しい思いに

松山では、駐車場に置いた車の場所が分からず、警察のお世話になるなど生活上の不安もあり、2018年秋頃に大学病院を受診しました。診断は、若年性認知症でした。診断されたときは実感がなく、認知症は高齢者の病だと思っていたので、時間が経つにつれ何でこんな病気になったのかと、悔しい思いで落ち込みました。

早期に“繋がり”、病気を受け入れて、前へ

退院する時に、ケアマネジャー、障がい者就労支援B型作業所、デイサービス、地域包括、若年性認知症支援コーディネーターなどに繋がり、おかげで、早期から支援者に恵まれて、病気を受け入れることに役立ったと思います。現在、B型作業所で週4回海産物の加工処理や畑仕事等を行い、週1回はデイサービスのパワーリハビリで体力をつけています。当初、兄は、1人での外出に難色を示していましたが、スマホアプリを活用して、大好きなサイクリングや散歩を楽しめており、安心したのか何も言わなくなりました。

病気をプラスに考えて、社会活動に参加

愛媛マラソンのボランティアや三角ベースボールの大会など社会活動にも積極的に参加しています。えひめ認知症希望大使を拝命し、様々なセミナーで講演や対談を行っています。地元開催のセミナーで、同級生が聴きに来てくれるサプライズがあり、とても嬉しかったです。また、昨年は東京での全国希望大使交流会議に参加し、同じ境遇の仲間に出会え、大きな励みになりました。改めて認知症へのイメージも変わり、今は認知症になり障がい者となったことをプラスに考えています。

同じ悩みを持つ人の力になりたい!

一生で健常者と障がい者の人生を2つも体験できて、自分はラッキーだと思っています。認知症になってもいろんなサポートを受けて、ボランティア活動や講演など、今までにない新たな道が開けてきたからです。自分は早い段階で様々な支援機関に繋がり、人に恵まれたことで進行も抑えられたのかと思います。診断後、次に繋がることで希望を持って生きることができたので、同じ悩みを持つすべての方が次に繋がれる社会・支援ができればいいな、と思います。

編集:中野智之
翻訳:中野智之・鷲巣典代

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