田中豊〜子供の将来のためにポジティブに〜

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不安な中、受診~診断を受けてうつ病に

私は会社でミスが目立つようになり、「何故こんなに思い出すことができないのか」と悩み「もしかしたら認知症かもしれない」という不安が頭をよぎりました。職場の上司からの勧めもあり、2019年2月に専門医を受診しました。診察を待つ間、「認知症だったら子供たちの将来はどうなるのだろうか。身内だけだったらいいけど、会社や周りの人に迷惑を掛けてしまうのではないか」と色々と不安に思いながら、「思い違いであってくれ」と願っていましたが、医師から若年性アルツハイマー型認知症と告げられ、頭が真っ白になりました。それからは、良くないことばかりを考えてしまい、うつ病になりました。

子どもたちのことを思い、ポジティブに

「子どもたちの将来の事を考えたら落ち込んでばかりいても仕方がない。今自分ができる事を探していくしかない」と、何事もポジティブに考えようと決めました。病気のことを受け入れる事ができるのに、1年半近く経っていました。認知症は昔の痴呆症というイメージが強いので、差別的な目で見られないか、打ち明けるのに不安はありましたが、「知ってもらっていた方が周りも接しやすいのではないか」と思い、関わる人には伝えています。伝えたことで、家族や自治会、職場も理解してくれるようになりました。

県下各所で講演活動~G7で意見発表も

2022年に長崎県の希望大使を拝命しました。今は、県や市、認知症の人と家族の会、地域包括支援センター主催の集まりで、「若年性認知症を発症して」というテーマで普及啓発活動を行っています。また、2023年5月のG7世界保健大臣会合では、意見発表をするというとても貴重な体験ができました。2023年4月からは、身近な場所で認知症の人とのつながりをもつために「おれんじ語ろう会」を立ち上げました。同じ境遇の人と悩みを共有したり、やってみたいことなどをお互いに話せるので、楽しく活動できています。まだまだ少人数での活動ですが、色々な人に手伝ってもらいながら続けたいと思います。

編集:中野智之
翻訳:中野智之・アメミヤマサコ

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