日本|若年性アルツハイマー型認知症とコーディネーターの支援|渡邊雅徳|アジアの声

渡邊雅徳

■ 渡邊雅徳(まさのり)さん(46歳)は、40歳の時にアルツハイマー病と診断されました。


診断そして、絶望と日々

1977年、生まれ。40歳の時に若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。認知症にはお年寄りのものと考えていたので信じられませんでした。
一方で職場での不具合には自分も気づいていて、仕事に行くのが不安だったので診断を受け、ほっとした気持ちもありました。
診断後、認知症の人と家族の会の埼玉県支部のことを知り、さっそく相談したところ、若年性認知症コーディネーターの方が相談に乗ってくれました。
コーディネーターは、家族や職場に私の受けた診断や状況の説明して休職の手続きも助けてくれました。若年性認知症コーディネーターとの出会いがなければ、今の自分はなかったと思います。
休職後、もう自分は新しいことは覚えられないんだ、と思うとやる気がなくなってしまって家でスマホゲームばかりして過ごしていました。そして結局、会社を退職しました。
その後、コーディネーターさんが講演会に誘ってくれたりしていたのですが、全て断っていました。

認知症のある人達との出会いと新たな出発

でもある日、自身も若年性認知症である丹野智文さんの講演会に誘われました。当事者の話なら聞きに行こうと思い話をきいて、励まされました。」
また、就職活動をはじめ、色々な方面で頑張ってみよう同じく若年性認知症当事者である佐藤雅彦さんのとの出会いのおかげです。私は、「当事者の人達との出会いで、前向きになることができました。そして、「リンカフェ」という、若年性認知症当事者と家族が自由に集える場の運営スタッフとして働くようになりました。一度人生を諦めかけた人がやり直す、という意味を込めて「リンカーネーション」(輪廻)にちなんでリンカフェと名付けました。
当事者同士で同じ空間を共有すると、少しの時間を一緒に過ごすだけでも、劇的な変化が見られるようになるんです。同じ経験をしたからこそ話せることもあります。
2021年9月には、認知症の普及啓発を担う「埼玉県オレンジ大使」に任命されました。
また、就職についても考えるようになり「就労移行支援」という制度を知り、応募を繰り返しましたが、2年間1社も通りませんでした。応募用紙にある「認知症」という言葉のせいだと思います。
コーディネ―タ-に相談したところ「書類審査ではなく、面接してくれる会社に応募した方がよいという助言を受けました。

再就職、働くことの喜び

そして、ついに、パーソルサンクス https://www.persol-group.co.jp/en/ という会社に入社し、再びはたらくよろこびを取り戻しました。現在の仕事の内容は、支援学校や就労移行支援事業所から実習に来られる方をサポートするのが私の仕事です。私自身とても就職活動で苦労したので、その経験を今ここで役立てています。
障害者を雇用している会社の雇用実績を見ても、認知症当事者を採用している会社はほとんどないんです。悲しいし、悔しいです。けれど、実際に僕が働いて笑っている姿を見せることで、何かが変わるもしれないと思います。いずれ症状が進行し、いろいろ困難なことが起こるかもしれないので、備えておかなくてははいけないとも思っています。今の職場では、さまざまな支援を受けることができます。現在、仕事での失敗防ぐために周囲と情報共有等を大切にし、トラブルがあれば、すぐにミーティングで皆に伝えます。仕事を通じて、実習生の方々からたくさんの「ありがとう」と笑顔をもらいます。そんな笑顔を共有しながらはたらき続けることが、私の中での「はたらいて、笑おう。」です。

一緒に笑いましょう!

●自分の経験を誰かの希望にしたいと思います。
●仲間へのメッセージです。自分の可能性を信じて一緒に働きましょう、そして一緒に笑いましょう!

 

 


この記事は、「Living with Dementia : Voice of Asia (英語) 」に掲載された内容の日本語(オリジナル)です。

 

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