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山中しのぶ

■3人の子供たちの母親である山中しのぶさん(45歳)は、2019年2月、認知症の診断を受けました。


診断、そして・・・

日本の高知県在住の3人の子供を育てている45歳の山中しのぶです。
私は、2019年2月若年性認知症と診断された当事者です。
診断を受ける2年前くらいから、家庭や職場で時間を間違えたり、約束を忘れたりするトラブルがありました。

ある日、認知症のTVドラマを見ていた長男が私の症状と似ていることに気づき、受診のきっかけとなりました。2019年2月、母と一緒に診断を聞きました。帰りの車では、母が私に泣きながら「ごめんね、こんな身体に産んでしまって。お母さんやったらよかったに、代わってあげたい」といいました。
私は「お母さんやなくて良かった。忘れられる方がつらいき、私がいい」と答えました。
次男からのラインには一言「認知症に負けるな」と私より家族のショックが大きかったと思います。私は、不安よりこの不調の正体がわかり、安堵の方が大きかったのを覚えています。
そして、わたしと家族のことを気遣い、診断と同時に温かく支えてくれた主治医に、感謝しています。

ほっとしたのも束の間、インタ-ネットで検索すると、書いてあるのは、重度の人の情報ばかり、10年が寿命、徘徊や、施設、何もかもわからなくなるなどという事ばかり。
子供の事を忘れたくない」と不安になり鬱がひどくなり、布団から出られなくなった事もありました。
シングルマザーで3人の子供達を今後どのように育てていけばいいの?
長男は大学が決まったばかり、仕事が出来なくなると、4年間どうやって学費を払ったらいいのだろうか?
夜中にタンスにしまってある保険証券の死亡保障を見詰めて、泣きながら死まで考えた事もありました。
周りの人々は優しく接してくれましたが、私の気持ちは人にはわからないと、心を閉ざしてしまっていました。

生きる力を取り戻す

けれども、インターネットにあるのは、悪い情報ばかりではありませんでした。
ある時、当事者として活動されている丹野智史さんにたどり着くことができました。
丹野さんにFacebookでメッセージを送ると、一冊の本を送って下さいました。
「私はあの本がなければ、今笑顔で生きていけませんでした。丹野さんに出会わなければ、今私はこうやって活動することはできなかったでしょう。
丹野さんと出会えた事で笑顔を取り戻し、決意と覚悟ができました。
前向きになった私は、2021年12月八王子市にある、DAYSBLG!を訪問しました。
BLGは、認知症支援 働けるデイサービスでスタッフとメンバーさんがフラットな関係でした。
デイサービスで、何かをやらされているのではなく、自分たちで、考え実行し、仲間と共に社会に繋がっている。そんな風景を見た私は、高知にこんな施設をつくりたいと思いました。

デイサービスはっぴーを開設

認知症になっても暮らしやすい街をつくりたいと思い、デイケアセンターを設立することを決心しました。
しかし、認知症のある私が、開設するためには、 当然、数多くの困難がありました。
私は、たくさんの人たちに、デイケアセンターのビジョンやミッションを説明し、法律の専門家などに協力を求めました。
そして、ついに、2022年、デイケアセンターを開始することができました。
センターの名前はハッピーです。誰もが、孤独を感じない場所になりますようにとの願いを込めました。
開設できたのは、私の思いを分かち合い、一緒に頑張ってくれた皆さんのおかげです。

ハッピーは、利用者がサービスを受けるだけの一般のデイケアセンターとは異なります。
私たちは、ハッピーに来る人達を、サービス利用者ではなく、メンバーと呼びます。
私たちは 車の販売会社や農園の等から仕事を受注し、報酬をもらい、メンバーに給料として渡します。
働くことと社会参加は、基本的人権です。
奥様に「いつもありがとう」というメッセージを添えて、クリスマスプレゼントを贈った人もいました。
彼は願いを叶えることができ、また、奥様は感激していました。
ハッピーの役割は 本人の願いを形にすることです。

誰もが安心して楽し暮らせる地域を目指して

私はデイサービスを開業してから支援者のみなさんの気持ちもすごくわかるようになりました。
私は今まで当事者として「どんな支援をしてほしいですか?」「あなたは何がしたいですか」などという質問をされても困ると言っていました。
今はデイケアセンターで、私が 本人さんを知りたいという理由で、認知症の人に向かって、質問をしてしまい反省している日もあります。
今になって、あの時、皆さんが私をサポートしようとして、いろいろ質問をしてくれたのだということがわかりました。認知症の人と支援しようとしている人、両方の気持ちがわかるようになりました。
両方に人の気持ちを大切にして、誰にとっても安心して住める地域をつくりたいと思います。
もちろん、私もメンバーも 毎日、たくさんの課題に直面しています。でも同時に、私たちは、ハッピーを通じて、エネルギーと希望をもらってます。ハッピーのメンバーと私たちの思いを分かち合ってくれる人達が協力すれば、実現できると信じています。
そして ハッピーの活動が誰もが住みやすい街つくり、助けてほしい時「手伝って!」といえる街につながると考えています。

認知症ともに生きる皆さんへのメッセージ

多くの認知症の人は、認知症があるからという理由で、願いをあきらめることがあるかもしれません。
けれども、もしあきらめなければ、そして願いを分かち合って、協力してくれる人がいれば、多くの可能性があるのです。
私はハッピーを開設して運営するという私自身の経験を通してこのことを学びました。これからも、私たちの認知症になってからの物語は 地域のすべての人々とともに続いていきます。
ハッピーな物語を 一緒に紡いでいきましょう。皆さんを応援しています。


この記事は、「Living with Dementia : Voice of Asia (英語) 」に掲載された内容の日本語(オリジナル)です。

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