【HGPI政策コラム】(No.38)-認知症政策チームより-『認知症と向き合う「幸齢社会」実現会議』に想うこと

column-39-top_JPNENG

「認知症と向き合う「幸齢社会」実現会議」について

2023年9月27日、総理官邸で「認知症と向き合う「幸齢社会」実現会議」の第1回会議が開催されました。2023年6月14日に、共生社会の実現を推進するための認知症基本法(以下、認知症基本法)が成立して以来、政府で実施された初めての公式な認知症に関する会議となりました。なお、認知症基本法は2023年10月時点では施行されておらず、本会議は認知症基本法に基づくものではありません。

2023年6月14日の認知症基本法成立は、認知症政策における大きなターニングポイントとなることが期待されています。第一条にある通り「共生社会の推進」を大目的として、認知症の本人の権利を明記し、認知症の人や家族が社会づくりや研究開発、政策形成に参加することを位置づけた重要な法律となりました。法律の成立後、多くのメディアが認知症基本法や認知症を取り巻く課題について取り上げ、社会的な関心も高まっています。そうした状況は日本政府も見逃してはおらず、認知症基本法成立の1週間後の6月21日、国会閉会に当たって行われた岸田文雄総理大臣の会見でも、「国民全体の関心事であり、特に高齢者や御家族の皆様にとって切実な課題である認知症への対応については、政府を挙げて、そして国を挙げて、先送りせず、挑戦していくべき重要な課題であると考えています。今月成立した認知症基本法も踏まえて、日本の新たな国家プロジェクトとして取り組んでまいります。」との発言がありました。国会閉会時の記者会見では、国会会期中に成立した法律や主だった論点について言及することは一般的ですが、「国家プロジェクト」というのは極めて強い表現であったと言えるでしょう。

また2023年8月3日に群馬県の介護事業所を訪問した際の会見で、岸田総理は「認知症への対応については、認知症基本法、先の通常国会で成立したわけですが、その法律の施行を待たずに来月には認知症の方御本人や家族、有識者等を交えた私が主宰をする会議体を立ち上げて、普及啓発や本人発信の支援、また、地域ぐるみの保健医療・福祉体制、また仕事との両立を含めた家族等の支援など、予防・早期診断や認知症の進行抑制等のための研究開発と併せて、総合的な施策推進のための議論、これを深めていきたいと考えています。」と発言し、認知症基本法前の政府主導の会議体の設置に言及しています。

こうした経緯を経て、今回の第1回会合が2023年9月27日に開催されました。会議のメンバーは、総理大臣や関係閣僚のほか、有識者として認知症の当事者団体の代表や、医学領域のアカデミア、介護事業者などが参加しました。会議の開催趣旨としては、「基本法の目指す共生社会、すなわち、認知症の人を含め、全ての人が相互に人格と個性を尊重しつつ支え合いながら共生する活力ある社会の実現に向け、関係者の声に丁寧に耳を傾け、政策に反映するため、基本法の施行に先立ち、認知症の本人やその家族、有識者を交えた、認知症と向き合う「幸齢社会」実現会議(以下「会議」という。)を開催する。」(首相官邸webサイト「第1回認知症と向き合う「幸齢社会」実現会議 議事次第」添付資料1-1より)とされており、認知症基本法の施行に先立っての議論であることが分かります。また経緯は分かりかねますが、「その際、安心して歳を重ねられる幸齢社会の実現に向けて、身寄りのない高齢者を含めた身元保証等の生活上の課題に対する取組を検討する。」(同上)という文言が加えられたことは、認知症基本法の議論を間近で見てきた筆者としては、やや唐突な印象がありました。

岸田総理の発言に見える「違和感」と政治における「言葉」の持つ意味

第1回会議では、締めくくりとして岸田総理が最後に発言しています。全文は、当日中に首相官邸ウェブサイトに掲載されています。(現時点で英文はなし)その中で岸田総理は、「皆様方の御意見は、今後、十分に政策等に反映させていただきたい」と前置きをしたうえで、1点目として「レカネマブの薬事承認と今後の体制整備」、2点目として「国際競争力の強化に向けた治療薬の開発」、3点目に「身寄りのない人の身元保証の課題解決」の3点に言及しています。

この3点はいずれも重要な政策課題であることは間違いありません。新薬「レカネマブ」は、医療提供体制や公的医療保険制度の持続可能性の観点から大きな注目を集めています。また次なる治療薬の開発を日本主導で行うべきという議論も、日本のイノベーション強化や経済安全保障の観点からも大切な論点です。また身元保証に関しても、一人暮らしの高齢者が増加する日本社会においては生活の安定の観点からも避けては通ることができないテーマです。

しかし岸田総理の発言には、認知症基本法の最重要テーマである「共生社会」というワードは一度も出てきませんでした。認知症基本法を根拠とした会議体ではないとはいえ、会議開催趣旨に「基本法の施行に先立ち」とある以上は、多少の言及があっても良かったのではないかと考えます。

ではどうしてこのような形になったのか、私なりの分析を加えてみたいと思います。政治において「言葉」は非常に大きな意味を持ちます。これまでにも、国会での発言や選挙演説中の発言が大きな話題となり、良い方にも悪い方にも展開していった事例は枚挙に暇がありません。

政治学者のヴィヴィアン・シュミットは、政策形成過程における「言説(discourse)」の役割として、「調整型言説」と「伝達型言説」の2つを挙げています。調整型言説は「政策プログラムの構築において合意に至るための共通の言葉やフレームワークを包含するもの」、伝達型言説は「政策の必要性や妥当性を一般国民に向けて説得するためのもの」としています。(Schmidt, 2002)認知症政策においては、まさに「共生社会」が調整型言説の代表的な事例と言えるのではないでしょうか。今回の基本法成立においても、多くの関係者がこの言葉・理念の下に集い、合意形成が図られたと言えます。一方で、今回の岸田総理の発言は、伝達型言説に該当すると考えられます。そもそも今回の会議は、法的に開催が義務付けられたものではなく、総理及び周辺が必要性を認め開催された任意の会議体です。その目的としては、先般の国会で成立した認知症基本法を踏まえ、認知症が政権にとっての重要な政策課題であると受け止め、今後政策を推進していくことを国民に対して表明するための会議、いわば「セレモニー」的な要素を持っていると考えられます。

そのように考えると、今回の岸田総理の発言に至った経緯として、2つの理由が考えられます。1つは、2023年10月末をめどに取りまとめる経済対策の一環としての議論と考えているために、新薬や日本のイノベーション強化といった経済政策との関連が極めて意識されたことです。社会保障制度の維持には経済成長が不可欠というのが、現代の福祉国家の在り方ですから、これは至極当然のことと言えます。もう1つは、「伝達型言説」としての「共生社会」が、まだそれほどまでに説得力を持っていないと受け止められたのではないか、ということです。認知症共生社会の考え方が、総理やその周辺にとっても納得できる、国民にも明確に説明できる「言説」であると捉えられていれば、おそらくは今回の会議における岸田総理の発言としてもふんだんに活用されたのではないでしょうか。しかしながら、国民への説明という観点で、また社会への浸透が足りていない、つまり一般国民に共感をもって受け止めてもらえないという判断があったからこそ、「共生社会」のワードが使われなかったのではないかと思うのです。

 

さいごに

今回の考察は、あくまで筆者の私見にすぎません。この私見が前提ではありますが、認知症政策に関わる私たちは今後何をすべきでしょうか。まずは、認知症基本法で位置づけた「共生社会」の考え方を、より広く伝えていくことです。通常、我々も含め、認知症に関心を持つ限られたコミュニティでの議論が中心です。しかし、法律が成立し、より広く社会に働きかけていくとなると、認知症に関心を持っていない一般国民にいかに関わってもらうかが重要になります。そのためには、認知症という政策コミュニティに属する私たちが、共生社会の考え方をひたむきに伝え、理解してもらうアクションが必要になるのです。

そしてもう1つは、会議体における当事者参画の在り方です。会議後、関係者からは当事者の発言時間が十分に取れなかったといった課題を指摘する声が上がりました。しかし、今回は内閣総理大臣出席の下で開催された首相官邸での議論です。こうした会議は、内閣官房が取りまとめ、各省の政策の全体調整を行う「総合調整」の一環として開催されることが一般的です。そのため上述の通り、限られた時間の中でのセレモニー的なものになりがちであり、議論を深める事よりも、会議を開催したことによる国民や社会への発信が重視されがちになります。こうした会議は国に限らず、地方自治体でも開催されることがあります。今後、国や地方自治体における、認知症の人や家族の政策決定過程への参画を考えるうえでは、会議の真の目的や、行政運営全体における位置づけなど、行政官や関係者にとっては暗黙の了解とされていることを、懇切丁寧に説明することも求められます。さらには、参加する当事者サイドも、その趣旨をよく理解に、その場に合った「作戦」を練り、効果的に場を活かしていくことが必要です。

今回の会議は、政策過程や社会政策といった公共政策の観点から、認知症に関わる筆者にとって、非常に興味深いものとなりました。第2回以降の会議が、より有意義なものになることを願ってやみません。

【執筆者のご紹介】

栗田 駿一郎(日本医療政策機構 シニアマネージャー)

ピックアップ記事