介護エッセイ「冷蔵庫」
※お母様の介護のために単身赴任を選択された「家族の会」会員の福井さんが日々の介護生活をエッセイにまとめられ、ご応募くださいましたので、ご紹介します。「日本認知症国際交流プラットフォーム」では、広く原稿を募集しています。皆様からの介護体験もぜひお寄せください。
おかんの家へ そして中へ
私の一日の始まりは規則的だ。朝4時35分起床、そそくさと身支度を済ませて一人住まいのアパートを出る。今朝のような師走の時期などまだまだ暗い中、愛車(脚でこぐタイプ)に乗って3分、おかんの家に到着だ。ハンドル中央のスライド式台座から外したライトを頼りに、郵便受けから朝刊を取り出して玄関のかぎを開ける。用心!玄関内側の足元には必ず何か仕掛けがある。今日は靴ベラ。気付かないまま入ると蹴つまずくことになる。それはおかんが施錠したことの自ら確認用目印なのだ。靴ベラは最もオーソドックス。ほかには杖、ほうき、ひしゃく、松ぼっくりなどのバリエーションがある。
流し台で解凍される料理用食材
家に着いて、まずは朝食の段取りだ。一番先に台所の流しが平穏な状態かどうかチェックする。前に書いたが、冷凍サケの切り身を、一度に全部解凍されてしまい、四日ほど毎食焼き鮭が続いてしまった「しょっぱい」経験がある。冷凍室が二つある大きな冷蔵庫の正面には、「冷凍ものを解凍しないで」と一応張り紙してあるが、私の気休め以外の役には立っていない。なので、今朝のように流し台に転がっている食品が、卵1個と解凍されてしまったしめ鯖1パック程度なら、突然のメニュー変更も容易なのでホッとする。冷蔵室を開けてみると、毎朝必ずモノの位置が変わっている。マヨネーズのびんがラックから奥にしまい込まれていたり、豆腐1丁が中段から下段に降りていたり。冷凍庫のほうも長く開け放して中の食品を並べ替えているせいか、トレー入りの肉も魚も、かかった霜でラップ越しには真っ白で、中身が判然としない残念な状態だ。ただ、なんでも外に出して放置するのかというとそうでもない。リンゴやブドウなど好きな果物はちゃんと出して食べているようだし、冷凍のあんころ餅やみたらし団子までも私がいない間に(多分凍ったままで)味わっているようだ。ではなぜ料理用食材に限って流し台に出してしまうのだろう…。
おかんの頭の中の「なんぞうまいもん」
おかんは昔から何事にも研究熱心な性格で、料理にもそれを反映していたようだ。実際、大阪で私が子どものころに食べたおかんの料理は、おいしいだけでなく、なにかひと工夫加えられていたように思う。さらにまた多品種少量「酒のあて」が基本だったのは、晩酌を欠かさない食道楽の父への気配りだった。当時の私も、カレーライスやハンバーグよりは鯖のきずし(しめ鯖の関西呼称)やら湯豆腐やらが好物だった。つい最近姉から聞いた話だが、実は大阪時代のおかんは時間を作って料理学校にも通っていたそうだ。今のおかんの家にある調理道具、全部年代物ではあるが、プロ仕様の中華鍋やすり鉢、切れ味するどいスライサー、伊達巻用の鬼すだれなどは、その名残りの品なのかもしれない。おかんは今も古い手書きの料理レシピノートや、婦人雑誌の付録の料理カードブックをダイニングの自分の席で飽かず眺めている。長い時間をかけて思いを巡らすような面持ちで。多分、手になじんだ調理道具を駆使して、父のいう「なんぞうまいもん」を工夫しながら何品もこしらえているのだろう。おかんの頭の中ではそれらが湯気を立て、食欲をそそる香りを放っている…。今朝冷蔵庫から出された食材からすると、おそらくおかんの昨夜の献立の、一品目は鬼すだれで巻きこんだエビのすり身入り伊達巻。そして二品目は中骨をピンセットで丁寧に抜き取った
ピカピカの鯖を、昆布と酢で浅くしめたきずしだったんだろうか…。
ごちそうさん
さてさて現実は今朝の食卓だ。テーブルの上を片付けようと、ふとおかんのいつもの席の前を見ると、何枚かの古い料理カードと一緒にメモ書きが散らばっていた。
「煮物の割合 出し8 みりん1 正1(醤油1のことか)」
さらに俳句が書き加えてある。「さゝやかな老母の手作り年の暮 トミ子詠 」
「老母」って、オレ(または姉?)になんか作ってくれてたんかい。うーんごちそうさん。ほ
んまおいしかったで…。
執筆:福井