足の不自由な伯父との避難-令和6年能登半島地震被災体験記~その2

志賀町の実家で被災した後、1月3日にはいったん家族で京都に帰りました。
伯母夫婦はしばらく避難所にいるのかと思いきや、京都に帰ってから、伯母夫婦も家に戻ったということを聞き、1月6日に両親は再び車で志賀町に向かいました。母はそのまま伯母の夫婦とともにしばらく滞在することになりました。今回は母が京都に戻るまでの1か月半の記録です。
母と伯母(母の姉)・伯父(その夫)
母は三姉妹で、一番上の伯母が実家におり、母は一番下の妹になります。母より六つ年上の伯母は78歳で、持病があり足が不自由な伯父は81歳(要介護2)です。
伯母の家は地震で室内の片づけは必要でしたが、住むことができました。電気・ガスは通っていましたが、断水していました。それに加えて、普段は伯父が週3回通っているデイサービスの受け入れが止まっており、伯父の介護が大変だろうということで、伯母の負担を心配し、母は志賀町に戻ることを決めたようです。
ふたたび志賀町へ。しかし・・
その時に京都から持って行ったものは、水(ペットボトル)、ティッシュ、トイレットペーパー、ウエットティッシュ、おしりふき、アルミホイル、ラップ、レトルト食品など。
母はいろいろ買い込んで持っていきましたが、なんと自分の薬(お薬手帳も)を持っていくのを忘れました。どうしようと思っていましたが、ネットで検索すると朝日新聞の1月4日の記事で「被災者は保険証の提示ができない場合でも、医療機関で氏名や生年月日、加入している医療保険(勤め先などの情報)などを伝えれば、本来の窓口負担で保険診療を受けられる。また被災地では特別措置として、医療機関で持病の薬の処方箋がもらえない場合、『お薬手帳』などで薬の履歴が分かれば、処方箋なしでも薬局で薬を買うことができる。介護保険サービスについても、被災者は被保険者証などを提示しなくてもサービスを利用できるようにする措置がとられている。」(一部省略)ということでした。
結局私がスマートフォンで母のお薬手帳の前回の処方のページの写真を撮りLINEで送信し、地元の診療所で処方してもらったとのことで、ことなきを得ました。
母が被災地で困ったこと
ここからは母からの聞き書きです。
「断水で、一番困ったのはトイレが流せないこと。バケツに水を入れてトイレに置いておき、手桶で汲んでトイレに流す。(下水を流してはいけない場合もあるが、ここでは大丈夫だった。)給水は軽トラックで行くが重いので運ぶのが大変。小さい袋は6L、大きい袋は10L。10Lは自分たちでは載せられないため、支援者などに積み込みを手伝ってもらった。
下ろすのはなんとか自分たちで。給水の場所や時間は、防災無線(放送)か、メール(以前から登録していた)で知らせが届く。給水の水は飲料水。もったいないので、トイレ用の水は、雨水を雨どいからバケツに溜めたり、家のすぐ前の山からの湧水を溜めて使っていた。少し歩けば川から水田へつながる溝から汲むこともできるが、寒いし重いしで諦めた。
スーパーは、すぐに開けていたので助かったが、駐車場や室内の床がデコボコしているところがあった。同級生に出会うこともあったが、それ以外は会う人会う人、年上の人ばかり…。皆大変だ。」
お風呂
1月6日から志賀町の入浴施設が朝から整理券を配布し、一日660人に無料開放しているということで、地震から10日ほどたって伯母と母は交代で、一回ずつ入浴しに行ったとのことでした。それから数日して、近くに住む母の二番目の姉の家は、井戸の水を給湯器から引けるようにして、水が出るようになり、そこでお風呂と洗濯のため三日に一回ほどお世話になったとのこと。伯父は体を拭くくらいで、お風呂に入れることは怖くてできなかったということです。
デイサービスの受け入れと水道
水道の復旧工事は金沢側から徐々に進んで、1月18日デイサービスの施設が復旧し、受け入れが再開しました。伯父は1月20日、しばらくぶりにお風呂に入れていただいたとのこと。そして1月25日、伯母の家もついに通水。喜び勇んで水道の元栓を開け、台所もお風呂もOK,と確認をしていると、トイレの床から水が漏れ出てきた(!?)…ということで、工事が必要なため、通水はいったんお預けとなり、再び元栓を閉めることとなってしまったとのこと。修理はすぐには来てもらえず、もう少し辛抱して2月4日に修理をしてもらうことができ、晴れて通水となりました。床下の管が破損していたためとのこと。他にも家の壁にヒビが入っていたり、瓦が落ちたり雨漏りがありました。被害のあったところは写真を撮り記録に残しておかなければいけません。役場に罹災証明の申請をすると、しばらくしてから損害状況の確認のため、役場の人が来られ、現状や写真を確認されたとのこと。(罹災証明書は2月末ごろ届き、「一部損壊」ということでした。)幸い地震保険に入っており、保険会社の人も確認に来られ、トイレの水漏れの修理や屋根の修繕などの費用の負担は保険金で賄えるということです。
断水が解消し、デイサービスも復旧したので、伯母夫婦の暮らしもやっと元通りになり、母も京都に帰ってきました。伯母の娘たちは、商売が忙しかったり、受験を控えた子どもがいたりと、長期間伯母のもとにいることはできなかったので、母はとても感謝されていました。
迷わず伯母のもとに助けに戻った母はすごいなと思いました。また日本中どこで地震が起こるかわかりません。いまできることは、我が家が停電・断水になるとどうなるのか想像し、生活物資・保存食を備え、また心の準備をしておくことだと思いました。