日本の介護、医療の現場で急速に広がる認知症マフ
山本 雅彦(NPO ONBOARD 理事長)
急速に日本中に広がる認知症マフ
今、日本で認知症マフ(英名:Twiddle Muff トゥイドゥル・マフ)の利用が介護や医療の現場で急速に広がっています。主婦のボランティアグループは作った認知症マフを地元の施設に贈ったり、病院では独自の有償、無償の製作グループを組織したりしているところもあります。
実はこの認知症マフ、私が2016年にイギリスを訪れた時に知り、持ち帰って紹介したのが日本での始まりです。このかわいらしいニット小物をツールとして、認知症フレンドリーコミュニティーの構築に役立てることはできないだろうかと考えたのです。
現在、日本国内で認知症マフを製作するボランティアグループは、私が知っているだけで、東京都渋谷区、同新宿区、同府中市、神奈川県相模原市、大阪府四條畷市、兵庫県芦屋市、岡山市、高松市、福岡市などにあります。全体では恐らく100近いボランティアグループが存在すると考えていますし、個人で製作している人も大勢います。
【兵庫県三木市のボランティアグループ「みっきいマフ」のメンバーたち】
また静岡県では県立富岳館高校の生徒たちがクラブ活動として認知症マフを製作して、地域の高齢者施設に贈っています。生徒たちは認知症マフを施設に贈呈して、実際にデイサービス利用者がどのように認知症マフを使っているのか調べています。同校で指導する山口恭子先生は「地域貢献活動を通じて生徒が認知症の理解を深めて、地域の社会資源を体感して参加することが認知症マフの醍醐味でしょうか。高校生によるソーシャルアクションと位置付けています」と話します。
【富岳館高校の生徒たち】
3K(カワイイ 簡単 貢献できる)な魅力
私としては正直、認知症マフがこれほど日本で関心を呼ぶのか予想できませんでした。では人々はなぜ認知症マフ(Twiddle Muff)に関心を寄せるのでしょうか。私は認知症マフの魅力は3K「カワイイ」「簡単に(編める)」「貢献できる」だと強く感じています。一つ目はカラフルな色合いの認知症マフは誰が見ても「カワイイ!」と思うでしょう。実際、当時59歳だった私もこの見た目のカワイさに魅了されました。二つ目は構造がシンプルで初心者でも簡単に編むことができる手軽さにあると思います。三つ目はここが一番重要だと思っていますが、自分が製作した認知症マフで認知症の人を笑顔にさせることができるという点です。従来の福祉とは一線を画した、参加型とも言うべき体験が人々の心に刺さっているのではと考えています。
イギリスでの出会い
私がTwiddle Muffと出会ったのはイギリス北部のブラッドフォードです。当時私は朝日新聞の福祉部門である厚生文化事業団に所属していて、2017年に京都で開かれるADI国際会議の特集記事の取材でイギリスの認知症施策を視察しました。この町は2016年に英国アルツハイマー協会から認知症フレンドリーシティとして表彰されていて、関係者に集まってもらいインタビューしました。その席で一人のボランティア男性がTwiddle Muffを私に見せてくれました。
【イギリス・ブラッドフォードで初めて出会ったTwiddle Muff(2016年10月)】
イギリスではブラッドフォード以外にも南西部のプリマスや病院の内部を認知症フレンドリーなデザインにリノベーションされているロンドン市内の病院などを訪れましたが、行く先々で「これを知っていますか?」とTwiddle Muffを見せられたのでした。
「だんだん」の皆さんと日本でスタート
帰国後、とにかく一刻も早くTwiddle Muffのことを日本で紹介したいと思いましたが、そのためにはTwiddle Muffを実際に作ってもらう講師役を探さなければなりませんでした。そこで以前から懇意にしていた広島県府中町で認知症カフェを運営している認知症サポートグループ「だんだん」に話を持ちかけました。グループのメンバーはリタイアした看護師さんや主婦ら約20人で、数カ月後には日本の気候や洗濯のしやすさなどを考えてフリース素材のTwiddle Muff数十個を作ってくれました。
【日本でボランティアグループとして先んじてマフを製作した認知症サポートグループ「だんだん」のメンバー(2020年2月)】
「認知症マフ」命名と能勢マユミさん講師ワークショップ
マフはできましたが、次に頭を悩ませたのがネーミングでした。「トゥイドゥル・マフ(Twiddle Muff)」では日本人には何のことかさっぱりわかりません。このカワイイニット小物が認知症に関連するものだとストレートに伝わらなければと思い、「認知症マフ」と名付けました。
そして2019年にはNHK・Eテレの番組「すてきにハンドメイド」に出演しているプロのニット作家である能勢マユミさんに製作講師をお願いして、認知症マフワークショップをスタートさせました。能勢さんは社会貢献に関心があって、初心者でも簡単に編める編み図を考案してくださいました。それ以来、ワークショップではずっと能勢さんが講師を担ってくださっています。
【認知症マフワークショップで教える能勢マユミさん(2022年10月)】
ワークショップの実施にあたって重視したのは、単なるニット小物の編み会にしないことでした。イギリスから伝わった、誰も知らなかった認知症マフを製作することをきっかけに、これまで認知症に関心が無かった層を集め、認知症の正しい理解を深めるプログラムにしたいと考えました。そしてワークショップを開催するときは必ず認知症についての基礎知識を学ぶ1時間のプログラムを導入しています。
認知症マフの効果
ワークショップの開催を重ねる中で、参加者から「認知症マフって効果があるの?」という質問が寄せられるようになりました。イギリスでは「おじいちゃん、おばあちゃんに手編みの手袋をあげよう!」といった気軽な取り組みだと聞きましたが、日本の介護・医療現場ではエビデンスの有無が重要視されます。また、外部の人が製作したニット製品を病院や施設のなかに持ち込むことに大きな制約があります。
そこで2021年に、関西医科大学リハビリテーション学部准教授で作業療法士の三木恵美先生に協力を仰ぎ、認知症の人約20人を対象に認知症マフの効果について調査しました。その結果、「マフに触れることがライフレビュー(昔の記憶をよみがえらせること)や回想を促し、対象者の精神心理面によい影響をもたらす可能性が示唆された」と評価してもらいました。認知症マフは薬やリハビリ用具ではありません。認知症の人といっても症状は千差万別で、認知症マフを渡しておけば大丈夫というものでもありません。まずはコミュニケーションツールの一つとしてとらえた方がいいのかもしれません。三木先生の論文は今年8月に「World Family Medicine Journal」にも掲載されます。
【大阪府四條畷(しじょうなわて)市の特別養護老人ホームで調査する三木恵美先生(2019年12月)】
看護分野での活用
私たちの目標は認知症マフをツールとして認知症フレンドリーコミュニティーを構築するという福祉的なものですが、3年前から看護分野での活用も始まりました。浜松医科大老年看護学講座教授の鈴木みずえ先生は、認知症の入院患者に認知症マフを使う研究をしています。これまでは入院患者に点滴をするときなど、患者さんが自ら外してしまわないようにグローブのようなミトンを利用してきましたが、この代替えとして認知症マフに着目しました。鈴木先生は最初、海外の事例からTwiddle Muffのことを知りました。輸入して2021年末に東北の病院で4人の入院患者にマフを使ってみたところ、点滴から注意がそれたという報告を受けました。「これはミトンなどの身体拘束を減らせるかもしれない」と感じたそうです。
鈴木先生は研究をまとめた「Twiddle Muff(認知症マフ)活用ケアガイド」(掲載先:浜松医科大学老年看護学領域で開発した実践ガイドの紹介)を公開していて、静岡県内の約10の病院と連携をとりながら実践・研究の支援を続けています。「病院の中はテーブルやベッド、白いシーツといった無機質な素材で占められています。そうした環境のなかにカラフルで暖かくて手触りがいいものが存在すると、患者さんも癒やされます。同時に看護師さんたちにとっても癒やしやコミュニケーションを活発にするツールになっていると感じます」と鈴木先生は話していました。
NPO ONBOARD 設立 共生社会へ新たな船出
認知症フレンドリーコミュニティーの形成にさらに深く関与していきたいと思い、2023年11月、私は特定非営利活動法人「認知症サポートグループONBOARD 」を設立しました。団体の主な活動は認知症マフワークショップの開催や学生を対象にした認知症の基礎知識を学ぶ講座の開催です。日本の認知症の人の数は2040年には584万人になると予想されています。2023年6月には地域で認知症の人と共に暮らすことを目指す「共生社会の実現を推進するための認知症基本法(認知症基本法)」が成立、2024年1月1日に施行されました。いわゆる自助、互助、共助、公助のなかでも互助や共助、つまり地域住民が主体的に認知症の人を支えていくことが重要視されています。認知症マフの製作は使う人の顔が見える具体的な支援です。最初にイギリスでTwiddle Muff(トゥィドル・マフ)に出会ってからちょうど8年。認知症マフワークショップの開催を通して、認知症への正しい理解や支援が着実に広がっています。
山本 雅彦(やまもと まさひこ)
(特定非営利活動法人「認知症サポートグループONBOARD」理事長)
社会福祉士。1984年朝日新聞社入社。写真部長、徳島総局長、社会福祉法人朝日新聞厚生文化事業団大阪事務所長を経て2022年に退職。厚生文化事業団在任中は認知症をテーマにした講演会や国際シンポジウムの企画・運営をはじめ、認知症マフの普及を目指すワークショップや小学生を対象にした「認知症フレンドリーキッズ授業」を企画・運営する。2017年に京都で開催されたADI(国際アルツハイマー病協会)国際会議や2019年のADI国際会議(シンガポール)ではゲストスピーカーとして招かれる。亡くなった両親は認知症で介護経験もある。