介護エッセイ「庭」

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※お母様の介護のために単身赴任を選択された「家族の会」会員の福井さんが日々の介護生活をエッセイにまとめられ、ご応募くださいましたので、ご紹介します。「日本認知症国際交流プラットフォーム」では、広く原稿を募集しています。皆様からの介護体験もぜひお寄せください。


「庭」


 朝、私が7時半から11時半までのアルバイト勤務を終えてうちに戻ると、庭先で作業する人の後ろ姿が見える。今日は庭木の剪定でYさんが作業に来てくれていた。事前に打ち合わせた通り、8時半から作業を始めてくれていたのだろう、梯子の上から剪定ばさみの音が心地良く響く。Yさんには長くシルバー人材センターの担当として植木の手入れをお願いしていたが、去年から個人でうちの仕事を請け負ってくれている。半世紀前に建てられた和風建築の家のこの庭はそこそこ広い。なんでも阿蘇のふもとから運んできたという大きな庭石が、幅7~8メートル、奥行2メートルほどの池を囲むように配置され、その周りに梅や松、楓や椿などが(多分)バランスを配慮して植えられている。池の左端には石灯籠や、ししおどしの仕掛けの痕跡が残る。右側は丈が目の位置くらいの竹矢来風アルミ製垣根で仕切られ、その戸は家の正面に通じている。

 石灯籠(資料画像)

  その庭の様子は当然ながら縁側から眺めて楽しむように作られている。生前父は夏の夕暮れなど籐椅子に寝ころびながら、耳に風鈴目に緑でビールと枝豆みたいなことをやっていたのだろうが、私にはまったくそういう趣味はなし、池には水なし、荒れ放題の草ぼうぼうである。そこの植木たちも住人同様古くなってしまい、楓はとうとう立ち枯れ状態で、今回Yさんに切ってもらうことになっている。昔は人の出入りも少なからずあり、お世辞半分でも庭を愛でてくださる客人もいたのだろうが、今うちのインターホンを鳴らすのは、デイサービスのお迎えか宅配便のドライバーさんくらいになってしまったので、まあいいかと不肖の息子は思っている。したがってYさんは、おかんの庭にとって、その庭としての体裁をぎりぎり保つ最終防衛線を長く守ってくれている大切な人なのだ。YさんもYさんで、母には前から世話になっていると、折々自分の畑の大根や、揚げた芋などを手土産に持ってきてくれる。おかんの写真アルバムにはYさんの一枚も残されている。プリントの隅に印字された日付は2013年5月。剪定の休憩のひとときだろうか、縁側でシルバー人材センターの同僚たちと楽しそうにお茶を飲みながらくつろぐ作業着の姿。おかんが写っていないのは多分シャッターを切る側だったのだろう。

 30年前に他界した父がまだ現役バリバリだったころ、もう50年も前のことになるが、正月三日は会社の仲間たちと昼からうちで新年の宴会を催すのが恒例になっていた。今にして思えば母に対してありえない無茶ぶりだったように思う。何せ毎年明けて早々大勢の客が入れ替わり立ち代わり押し寄せての大騒ぎ。家の掃除だ庭の手入れだおせち料理だ酒の用意だ活け花どうする掛け軸どうする食器のあと片付けはどうなんだー✖◆…をほぼおかんひとりでやってのけるのである。そんなことをやらせる父も父ではあるのだが、受けて立つおかんもおかん、ただその苦労のかいあって、いつしか東京オリンピック滝川クリステルさんにも負けず劣らずの「おもてなしエキスパート」になってしまった。さすがにおかんはもうとっくに現役を退いているが、ときどきその片鱗をのぞかせることがある。年に一度、父の祥月命日にお寺のご住職がいらっしゃる時など、完全に接待モードにスイッチが入ってしまう。亡き人を偲ぶことなどはるか遠いどこかへ打っちゃってしまい、仏前のご住職の読経などガン無視し、大きな声で「お茶っ葉どこだ?お菓子はどうした?お布施はどうなってる?」などとあっちウロウロこっちウロウロのハイテンション状態。まさに〇〇の耳に念仏。そんなおかんなので、庭木剪定はおかんのデイサービスの日に合わせ、本人がいないうちにやってもらおうと日程調整したのが今日この日だった。

 が、しかし、おかんはうちにいた。縁側の椅子に腰かけて居眠りしている姿が垣根越しに見えるのだ。なにかあったのか。梯子のYさんに尋ねてみると、9時頃介護施設の人が車で来て家に入っていったが、しばらくしてひとりで帰っていったとか。そしてこんなひと言。

「おかあさん、元気やな。さっきお茶飲ましてくれたよ。」

家のなかに入る。縁側の陽当たりに座布団が4枚並べられているのが廊下から客間越しに見える。私はダイニングキッチンにある電話で、母がなぜうちにいるのか介護施設に聞いてみた。

「あー本当に申し訳ありません。いつも通りに迎えに行ったんですがね、福井さんはですね、今日は植木屋さんが来ているからデイサービスにはどうしても行かないということで、かなり説得してみたんですが、だめでした。こんなこと初めてです。」

ふーん、そうでしたか

ふと見ると流し脇の水切りかごには湯呑み茶碗がひとつ伏せてあった。どこから出してきたのか、普段使わない、澄んだ濃い藍色の丸みのあるもので、底に「香蘭社」と書かれている。

 

 そして同じその藍色の湯呑みは、古い写真の笑顔の人たちの手にものせられていた

執筆:福井

 

 

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