下田哲也〜母の一言で帰国、認知症と共に生きる〜

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異変を周囲から指摘されるも、内心反発

マレーシアでの生活が続くうち、50歳を過ぎた頃から、子どもの塾への送迎など、普通であれば忘れないことを忘れ始めました。家族からの苦情には、「仕事が忙しいのだから仕方がないだろ!」ということで押し通していました。
ところが2017年、在京企業からヘッドハンティングを受けて転職し、単身、シンガポール支社に勤務しましたが、仕事がうまくいきません。現地社員から様子を聞いた本社常務から「頭がおかしい、調べろ」と言われ、内心は、「何を言いだすんだ!偉そうに。何か病気の可能性かもしれないから受診しなさいと言えばいいのに…」と反発していました。自分の異変をまだ自覚していなかったのです。

アルツハイマーと診断されて、激変する生活

マレーシアのペナンで脳神経外科の専門医を受診。MRIで脳の委縮を確認しアルツハイマーの初期ステージだと診断され、同時に「この病気に有効な薬は現在ありません」と言われ、会社は退職せざるを得ませんでした。54歳でした。
その後、幾つか転職しましたが、家族への仕送りもできず責められ、この頃、妻と離婚。私としては、自覚しないまま家族と諍い、別れ、彷徨い、仕事がうまくいかず、周囲との軋轢が増え、「何故だ?」の思いを繰り返していました。

母親の救いの言葉で帰国、新しい課題を見つける

新型コロナウイルス感染症蔓延の中、身動きのできない状況下、見かねた大分の母親から「あんたはもう十分がんばった、なんも心配せんで帰っておいで!」と連絡がきました。38年ぶりの帰郷でした。今は、大分県認知症希望大使も拝命し、県内各地でお話に呼ばれ、自分の来た道を振り返りこれからの生き方を考える素晴らしい機会になりました。今後も認知症人口は増加を続けます。認知症との共存がこれからの社会に必要だと考
えています。
病気になって悩む仲間たちに「心配しないで大丈夫」、「認知症の人と家族の会」など力づけてくれる団体やいろいろな支援があることを、先になってしまった者として
伝えていきたいと思います。


この記事は、公益社団法人認知症の人と家族の会の会報「ぽ~れぽ~れNo.519(2023年10月号)」に掲載されたものです。

編集:中野智之

翻訳:中野智之、アメミヤ マサコ

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