介護体験『かったる~い!!』2
■変わったな、母さん
「母さん、今日は随分少なかったね?」
ラクダ便で来た商品の仕分け作業を一緒にしていた私は、魚類のごっそり抜けているのに気付く。
だが母は平然と、
「ああ、疲れちゃって魚の陳列棚まで行けなかったのよ」
「ああ、そう」
その時ちらと伺った母の顔には、ほとんど表情が無かった。それでメモに丁寧に書かれているリンゴや卵の無かった事については、聞くのをやめにした。そのうち自宅棟前が停留所になっているイオンの無料バスにも乗らなくなった。
「時刻表を見間違えイオンモール行に乗っちゃったよ」
帰ってくるなり苦笑いし、けれども臨機応変に買い物を済ませ、迷う事なくまた無料バスで戻ってきたのはつい1ヶ月前の事なのに。
私は以前母が別病で通った事のあるT病院に「物忘れ外来」のあるのを思い出した。
(連れていってみるか)
梅雨入り宣言のなされた外来予約日前日の夜は、とにかく蒸し暑かった。既に午後10時を回っていたが、上階に来ている幼子の運動会はまだまだ終わりそうにない。
(でも寝るしかないな)
そう思ってベッドへ入ろうとした矢先、玄関口の開く音がした。やおら上半身裸のまま駆けつけてみると、母は外に出ようとしている。
「どこ行くの、母さん?」
「上に決まってるじゃないの。こんな遅くまで走り回って。ああいう手合いは注意しなきゃ分からないのよ、ど、ん、か、ん、だから」
そう言って上階へ行くと、10分程で戻ってきた。
「さあ、これで静かになったわ」
事も無げにそれだけ言うと、さっさと自室へ去って行った。
(変わったな、母さん)
■キチガイに飲ませる薬じゃないか
そして翌日。
もとより正直に連れていく理由を告げればすげなく拒絶されるのがオチなので、「高齢者対象の定期的健康診断の一環」程度にしか事前に伝えなかった。
だからいざ長谷川式認知機能検査で100-7-7-…の問いに至った時、母は衝動的に若い女性の看護士に向かい、「馬鹿にすんじゃないよ」と一喝してしまったのだ。けれども次に自分の誕生日や今日の日時を言う段になると、頻りに振り返り苦笑いしながら後ろに控えている私を見た。検査の後で撮ったMRIも含め、総合結果はすこぶる芳しくなかったらしい。それは私を含めた担当老医師との最後の3者面接で明らかになった。
老医師曰く、「習字教えるの止めちゃだめだよ、呆けが進むから。僕も歳だけど病院側が契約を更新してくれる限り続けるつもりだからさ。」
医師は出来立ての画像と母を見比べながらそう言った。そして最後に、「じゃ、ドネペジル処方しといて」そう看護師に言いそそくさと診察室を出て行った。
(要するに認知なんだ)
だけどあんな薬だけは飲ませたくない。だが懸念は全くの杞憂である事を思い知らされる。
同日の夕食後、「これ飲んでみる?」ドネペジルのカプセルを差し出すと、久々の外出で上機嫌な母の表情がみるみるこわばっていく。
そして私の手元にあった2ヶ月分の服用薬をわしづかみに横取ると、瞬時にゴミ箱へ投げ捨ててしまった。
「お前、馬鹿にしてるのか? こりゃキチガイに飲ませる薬じゃないか」
■不安とストレス
その夜ある雑誌で、<個人差はあるが、認知症、特にアルツハイマー型認知症では、自他共に認める症状が顕在化してから4~8年の余命(健康寿命ではない)になる>を読んだ。
つまりMCIが初期認知症へ移行すれば不可逆的に病状が進み、平均6年前後しか生存できないと。翻って母はどうなのだろう?
まだ半年強しか経っていないが人様の平均より少し速いような気がする。
1年過ぎた梅雨入り間近かの令和2年6月初旬、緊急事態事態宣言も解け母は待望の書道塾を再開した。
ところが予想外の事が起こる。
「まさや、聞いておくれ」「ん?」母の顔が紅潮している。
「みんなずるいよ。私が呆けたと思って3ヶ月分も月謝持ってこないんだから」
「え?」
私の方が呆然となる。
「で、ね。いつも親切なKさんに電話したら、休んでいたのに月謝は払えないって笑うのよ。馬鹿にして」
たぶん今眼前にいる母の扁桃体ニューロンは、怒りで激しく発火しているのだろう。だが同時に私の同ニューロンは、悲しみで強く発火しているはずだ。私という個体には連れ合いはいないが、扁桃体には海馬というそれがいる。
ところが母の扁桃体の連れ合いは既に死滅しているのかもしれない。海馬への問いかけにもほとんど応えてもらえない母の扁桃体は、絶えず不安とストレスに翻弄されているのだろう。
■千日手
それがあって私は市の介護保険事務所へ介護申請をした。結果は要支援2。
けれども判定結果を尻目に母の認知症はこの頃からどんどんと進んでいく。なにしろ今やった事を覚えていないのだから。書道塾の生徒さん達へちょっとした連絡をする時でさえ、悲惨な状況に陥る。蒸し暑さの増した6月下旬。経験則で高湿度が精神的に極めて不安定な状態をもたらす事に気付いていたので、のっぴきならぬ表情で話しかけてくるや、まずルームエアコンの除湿モードをオンにした。
「AさんとBさんへ明日10時に来るよう連絡したいんだけど、見ててくれない?」
「いいよ。じゃまず受話器を取って、…ゆっくりAさんの電話番号を読み上げるから」
「あ、待って!」
「え?」
「まず誰にかけるんだっけ?」
「Aさんだよ」
「何て?」
「10時に来るように」
「誰にだっけ?」
「Aさんだよ」
「何て?」
「10時に来るように」
まさに囲碁の万年劫、登山のリング・ヴァンデルング、将棋の千日手、である。千日手ならば局面を何とか打開しなければ先へは進めない。
「母さん、疲れたようだからお茶にしようか?美味しい和菓子も買ってあるから」
これで母は3分もすれば書道連絡の事を忘れてしまうのだ。
「まさや、せっかくこしらえたお雑煮、冷めるとまずいから速く父さん呼んでいらっしゃい」
■失禁
令和3年元旦の午前8時、母と2人で作った雑煮がようやく出来上がった。
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